あなすばらしき創味シャンタン〜料理についての哲学〜

「筋肉痛は、創造と破壊だ」Wくんが言った。「創造→破壊そして創造!」わたしは筋肉痛をそんな風に考えたことがなくてなぜだかとても感動した。色々な話をした中でそこに1番グッときた。それから1週間くらい創造と破壊そして創造、そして破壊!が頭の中をぐるぐるした。

1週間と1日目くらいにピンときた。えっ料理も創造と破壊、そして創造なのでは、、?料理をお弁当箱に詰める。プチトマトとブロッコリーとセクシーな卵焼きの黄色、とか、梅干しと白米のコントラストとかアスパラの緑とベーコンの健やかなピンク、とかなるべく見た目を試行錯誤して作る。作ったそれはお腹を空かせたわたしが咀嚼。めちゃくちゃに噛み砕き飲み込む。えっ、創造と破壊だ、、、、そしてそのお弁当はわたしのチシオとなり生命をつなぐ、、、、。創造と破壊、そして創造なのでは、、、、?日々何気なくそれを繰り返していたことに気づいた。そしてそれは合法的に繰り返し破壊できる唯一の事象なのではないか、とまで考えが及んで嬉しくてたまらなくなってしまった。

誤解を恐れたり恐れずに言うとわたしにはかなり、破壊願望がある。、、、破壊願望というより世の中盛者必衰だ、と強く思っているという方が近いような。永遠はない。永遠はたっぷり2秒くらいの瞬間のことだと思っている。あるものは滅びるのが当然だと思う。そして滅びた時少しホッとしてしまう。でも現実で実際にはそんな頻繁に破壊など体験できない。と、思っていたがどっこい。破壊は、かなり身近に存在していた。大発見である。


現実で破壊は基本的にあまり良くない。破壊は受け身であることが大抵の場合望まれる感じである。だけどうるせえよカス!何もかもブチ壊してえよ!という場合にうってつけの高尚な行為、それが料理だと思う。農作物は完成品として出荷される、そしてそれを切り刻み破壊→さまざまと混ざり合い新しい価値、料理を創造→お腹を空かせたわたしが咀嚼して破壊→日々の栄養となりわたしを創造、、、美しきループ。創造と破壊だ。わたしはうまい下手かは置いておいて料理がとてもすきだ。試行錯誤して作り出したものを自らブチ壊すという合法的な破壊行為という考えのもと、料理がとてもすきだ。壊されるための創作。それはまるで人生のようだとも思うのだ。「死ぬために生きてるんだとか!必ず終わりは来るだとか!」(ゴッホ/ドレスコーズ)

だから料理をしている時、とても安心するのかもしれない。縮図やん、、という気持ちでかぼちゃを煮た。1週間かけてわたしに咀嚼されるために、ことこと煮た。わたしの周りは皆料理がすこぶる上手だ。本当に。おいしい料理の創作は自己肯定感をかなり高めるので、悲しくなったりした時にも、料理は良い。素晴らしいなぁ料理。今日は人生ではじめて創味シャンタンを購入した。ジャケがバチバチにかっこいいし、なんでも美味しくしてくれるらしい。たよりにしている。これから星の数ほど創造と破壊を。夜露死苦!

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おかしな人間の夢