人生はグミチョコパインでありビスケットの缶であり

疲労困憊っていう言葉は困憊だけで疲労が来てることになるみたいである。わたしは変化が激しい(10代後半~の写真とか毎年見た目、思考等ヒュージョンしまくっており、まさしくミスパラレルワールドという感じ)人間であるが、ここ最近は特にそうだ。自分で言うのもなんだが若くなってしまっている。もう少女みたいな気持ちでいる。ブロックシールとか匂いペンを集めてた頃に今の自分のまま戻っているような感覚。15時半には家に帰るようなあの感じです。


先日はNというぱいせんと電話をする。会えなければ終わるなんてそんなもんじゃないだろうという言葉はまじでです。去年の今頃は演劇やるかやらないかみたいな話をしてた。あの感覚から遠くに来てしまって日常に埋没していると強い意志を持って取り出そうとしないとそこに行かなくなり、ハッとする。忘れていたというか遠くにきてしまっていたというか、あれまたやりたいなぁ。何かを表現するみたいなことやりたきゃ誰でもやっていい、とか、愛とかそういうもの全然特別じゃないじゃんとか、日々許されている。

表題だとおもっていた言葉とか曲とか、人だとか今じゃ全然響かなくなって今までからは思いもよらないことを指針にしたりしている。ミドリの、人生はビスケットの缶的発言、はじめて読んだときはもう落雷級にしびれたけど今は違う。憎かった人へのこぶしも、はじまりを忘れた肩こりも、近づきすぎた眉間も、バターすべりゆくあったかなフライパンとなり顔よりでかいホットケーキがいい匂いといった感じで7月の袖にするり。

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おかしな人間の夢